お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第25回 「ロイ・シャイダー 献杯 おかわり。」 
 
最新回はPIPE69マンスリーにて掲載中。

テレビでは“追悼特別番組”をやらない様であるし、自分で“シャイダー映画祭”を催す事にした(宇宙刑事は除く)。観たい作品を数えると10本だったが、近所のレンタルビデオ店へ行ったら1本も置いてなかった。

『フレンチ・コネクション』では、血の気の多い相棒ジーン・ハックマンと対照的に冷静で肩の力の抜けた人だった。そう、迷惑を掛けられる側だった。
しかしこの人には、なんかしらヘマをして周りに迷惑を掛けているイメージが私にはある。多分、下記の2作品で印象づけられたんだろうが。
『ジョーズ』の時はオルカ号の上で圧縮空気入りのボンベをドンガラガッシャンしてリチャード・ドレイファスに叱られ言い返すが(いい照れギレだ)、それを見ていたロバート・ショーには子供扱いされる。いいおっさん、しかも警察署長なのに。おかげで丁寧に扱わないと危険である事を観客は知るわけで、のちの伏線になるのだが。
『ブルーサンダー』では、撃墜したFー16の敵パイロットがパラシュートで降下している様を、無事で良かったとニコニコして(いい笑顔だ)見届けている隙に・・・ ベトナム戦争を生き抜いたベテランのヘリパイロットなのに。しかしこの映画でこんなのはかわいい方で、ヘマどころか一般市民の安全に配慮しない空中戦をロサンゼルスで繰り広げたり色々ある、あるがそれを補って余りあるシーンもたくさんある。ビルの谷間ちうか谷底に於いての対マルコム・マクダウェル戦を超えるヘリチェイスを、私は後にも先にも観た事が無い。あるなら教えてほしいくらいだ。こんなもんを中学生の頃に大スクリーンで観る事が出来て本当によかった。寺尾雅彦、何をにやにやしているのか。 
私の中でシャイダーを語る時(そんな機会はなかったが)に欠く事が出来ない作品のあらすじを紹介させて欲しい。長々すみません。
『恐怖の報酬』(ウィリアム・フリードキン監督版) 中米某国。アメリカでマフィアの恨みを買った銀行強盗=ドミンゲス(ロイ・シャイダー)、テロ実行犯のパレスチナ人ゲリラ=カッセム、不正が発覚したフランス人銀行家=セラノ、殺し屋=ニーロ、元ナチス党員=マルケス、それぞれ逃げ延びて首だけは繋がったが、地元の役人に有り金まき上げられて国外には出られない。暑く湿った貧民窟で過ごす食いつめ者たち。悪名じゃ食えないそんなある日。反米ゲリラのテロの攻撃により、米資本の油田が炎上する。爆風での鎮火を決めた油田の責任者はニトログリセリン輸送のトラックドライバーを募る。衝撃に反応し易いニトロを積んで走る道は未鋪装で山もあれば谷もある。300km先の火災現場に無事運び切れば高額な報酬が手に入り、しくじれば微塵。大勢の候補の中から運転技術のテストの結果、4人が選ばれた。行く者と残る者、地獄はどっちだ。 

今でも雨の屋外で滅入る状況の時には、高温多湿のジャングルで鳴っていたタンジェリン・ドリームの不穏なシンセサイザー音楽を脳内で演奏する事にしている。

駄目だ。観たくて堪らん。他店へ探しに行って来ます。

ミスター ロイ・シャイダー R. I. P


 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第24回 「ロイ・シャイダー、ロバートショウ、広川 太一郎に献杯 泥酔」 

2月10日、ロイ・シャイダーが逝った。
2004年から俳優業を休止して入院し、治療に専念していたらしい。
新聞を定期購読していないので、その日の私はロイ・シャイダーの死を知る人と会話せず、テレビラジオでニュースを見聞きせず、ネットもしなかった様だ。結果、訃報を知ったのは2週間後の深夜、ネット上での事だった。

子供の時分から散々世話になった恩を忘れ、ここ数年は顔も出さず便りも出さず、心うちで暮らしぶりを気遣う事すら忘れていた叔父の死。かなり遅れてからそれを知った薄情な甥。私は甥でも何でもないが、その甥にでもなったつもりなのか恥知らずにも、俄に寂しくなって、台所から瓶入り焼酎とグラスを取って戻り、ジョーズのDVDを再生すると献杯をした。調子のいいこった。
ジョーズの日本でのロードショー公開当時、残念な事に私はまだ小学校に入学して間もない頃で、父親と行った劇場での記憶はほぼ無い。
のちにテレビの吹き替え放映で、レンタルビデオで、現在は所有しているDVDでと一体何度繰り返し観たのか分からないが、出来る事ならもう一度、劇場のスクリーンで観たいと思う。
幼少期から刷込まれたホホジロザメは今でも私の中では、巨大生物水棲の部の王である。図体のでかさだけで言えば、メガロドンという体長15メートルなどという、馬鹿々しいほど巨大なサメが太古にはいたといわれているし、攻撃力はシャチのノ  巨大生物の話で字数が尽きるので止める。
私がジョーズを繰り返し観るのは、体長8メートルのホホジロザメの存在はもちろんの事だが、そのサメとの闘いで大変な目にあわされるアミティ島警察署署長のマーティン・ブロディ、サメ漁師のクイント、海洋学者のマット・フーパーの3人のキャラクターと、3人の絡みぐあいが好きだからだ。
このブロディ署長を演じたのがロイ・シャイダーであり、以降、彼の出演作品をせっせと観るきっかけになったのがジョーズだった。

全然書き足りないので次号はサメ抜きシャイダー。
つづく。


 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第23回 「すみませんが、ちょっと農薬にあたったみたいで今回休みます。」 

現在、にぎり寿司が食いたいと思っている他には、特に思う事が無い。
さて、字数が尽きたので次号につづく。
というのはさすがに無理だろうか。しかし以前に訳あって、この紙面の一画に穴を空けた事があったが、大勢に影響は無かったという事実を考えると、あながち無理でもない様な気がする。
「毎回楽しみにしているのに、どうした事か」等の苦情、あるいは「急病か急逝か、筆者は大丈夫なのか」等の問い合わせがパイプ宛に殺到したために、業務に支障をきたした。読者にも多大なる心配を掛けている。以後、この様な事のない様、くれぐれも注意して欲しい。と、いった事を、責任者である寺尾雅彦から、聞かされなかった。否、待てよ。寺尾雅彦が私に言い忘れたのかも知れないし、私がそう聞いたのを忘れてしまったのかも知れない。若しくは、私の文章を贔屓にして呉れる人達は一人残らず全員シャイで、苦情や安否の確認のため電話する事が出来なかったのかも知れない。単に誰も読んでいないといった可能性だが(この際、読んだ上で黙殺している人の存在は黙殺する)これは以前、友人から「面白いと思って書いているのか」という評価を受けた事から、低いだろうと思われる。一例では足りないと言うのなら、まだ他にも例はある。「面白くない」や「字が書けるとは知らなかった」「塾へ行け」といった声も聞いている。(一方、頭の中からは「無理をするな」「猿真似は止めて楽になれ」「塾へ行け」等の声も聞いている)以上の事から考えると、やはり読んで下さる方々もいらっしゃる訳で、にぎり寿司が食いたいと思っている以外、他に何も書く事がないなどと、ふざけた事を言ってはいられない。御詫びすると共に、今回も書こうと思ったら、あらら字数が尽きちまったよ。しょうがねえし寿司もねえ。


 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第22回 「パパとママの愛情が足りなかったのか、貴様。」

今を去る事二十年程前の昔。私は柳と出刃を携えて商店街で誰でも良いので皆殺しを試みた訳では無く、割烹寿司屋で追回しをしていた。
「誰でも良いので皆殺しにしたかった」意味は解るが文法は大丈夫なのだろうか。この手の人達は誰でも良いなどと誰でも殺れる様な事を言っているが、訓練も受けず装備も無い主婦や児童が行き交う駅前商店街で、テロルを行う人達ばかりで、猛者が集う屯所や狂人がたむろする魔窟等に於いてテロルを行った人があったと報道番組等で見聞きした覚えが無い。「誰でも」の前に「自分より弱ければ」と付け足すべきではないだろうか。ええ格好すな甘栗がと言いたい。さて、追回しと言うのは職人見習いの事である。この追回しという立場を米海兵隊に置き換えれば、新兵訓練所に入ったばかりの、ママのシーツの染みにパパのザーメンが掛かった結果出来た糞虫以下の様な存在という事になる。ハートマンという人がそう言っている。無論、この様な話しに於いて米海兵隊と私には関係が無い。先日寝付きが悪かったので、久し振りにフルメタルジャケットを観直したばかりなので、思いつきでこんな事を言っているに過ぎない。もしフルメタル極道を観ていたら、まあ観ていないから何とも言えないが、それ絡みでなんか言っていた筈だ。本当は師というものについて書こうと思っていたのだが、字数が過ぎた。仕方が無い。


 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第21回 「どぶやん、いてての巻1」 

性懲りもなく酒を呑んで調子に乗ったあげく膵臓がへたれた。八月に膵臓で入院したばかりなのに。

馬鹿は死ななきゃ治らないなんて事を自分も伝え聞いているが、という事は自分も死ぬ迄馬鹿で、その馬鹿の為に周囲から侮られ、皆はみっつ貰えるところを、あいつは馬鹿だからこれ位で丁度いいよと寄合いで決議され、自分だけひとつしかパンを貰えない。そんな味噌滓の様な扱いを受け続けなければならないのかと思うと、心が屁泥でぬちゃぬちゃになる様な感じがするが、心療方面の問題は兎も角、今ここにある危機、このしくしくと痛む鳩尾の処置をして貰わない事には、ぬちゃぬちゃする為に必要な脳や心肺の機能が停止してしまわないとも限らない。鳩尾がしくしく痛む位で何を大袈裟な事をと思う人もあるだろうが、これには訳がある。八月にやはり膵臓で救急入院した際、容態安定後に家族の者から聞かされたのだけれども、担当医から最悪の場合には死亡といった可能性も無い事は無いので、一応の覚悟はしておく様にと言われたのだそうだ。その可能性がどれ程のものだったかは知らない。また余命宣告なんて恐ろしいものがあるが、例えば医師がある患者の余命を一年であろうと診立てたが、実際には半年と告知する場合があると以前テレビのアナウンサーから聞いた事がある。テレビで言っていた事なので真偽は各々吟味して頂きたいが、一年保つであろうと告知して半年で身罷った場合、遺族から抗議される事があるからだそうだ。なるほどな。自分の場合も、単にもしもの時は抗議しないでくれよという担当医の同意の要求、若しくは告知の義務があったのかも知れない。が、膵臓が溶かされる痛みと来たら今迄に感じた事の無い、それはもうひでえ痛みで、本当に死んでしまうのではないかと思う程であった。良い喩えが見つからないので、体感したい方はアルコールを毎日の様に摂取し続け、自分の場合は約十五年掛かったが、背中や鳩尾に疼痛を感じる様になり、物を食べれば食べた分マーライオンの様に口から逆流させる。それでもガッツでガッツに負担をかけ続けていれば、運の良い方はその内に体感出来るのではないだろうか。余禄としては、痛みのあまり、自然に岡本太郎が興奮している時の表情と動作の模写が出来る。兎も角死んじゃっちゃあ堪らない。とかなんとか字数が過ぎた。


 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第20回 「目先銭」 

今年の冬は、なんだか知らないがエルニーニョと温暖化との相殺とかで普通に寒いらしいし、ガソリンは150円代になるらしいしで、バイク便を辞めて良かった良かった、本当に良かったと思っていた。これまでは経費削減、遠方配送対策の為に燃費、出力、高速安定性を考慮して単車を選んでいたのだけれども、もうその必要は無い。私は自由に乗りたいものに乗る。HONDAのオフロード車に乗り換えよう。コンクリートジャングルの憂き事からラナウェイ!茸図鑑をバグに入れ、野山に出駆け野営をしよう!ロハスだぜ排気ガス散らして!

日頃お世話を掛け通しの先輩から連絡があった。「〇便」でライダーが不足しているとの相談を受けた。貴様の名前を挙げておいた。来週ミーチングをするので、野田阪神のマクドナルドへ来い。喜べ、日払い収入もあるからな。質問は無いな?よし、以上。

僕はバイク便みたいな危険、汚い、気色悪い仕事を辞めたんです。静かにもやし工場で働いて、週末はロハスな時を過ごそうと決めていたんです。

日銭......  か......助かるな......
先輩にセンパーファイ...


 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第19回 「日々の罅」 
急性膵炎のため緊急入院した。退院後も飲酒禁止の指示を医師から受ける。仕方がないのでめしばかり喰う。素面のため、色々がはっきりと見えて難儀だが、身体は大変、楽だ。いくつか変化があり、心にブレがある。すきやきを喰ったがうまかった。最近、頻繁に猫が腹の上で眠る。苦しい様な嬉しい様な。苦しくて嬉しいと云う事もあるが。母親からアイヌの木彫りの像をもらった。また物が増えた。トランスフォーマーを観たが、やはりマイケル・ベイだった。何か、ものを拵えてみようかと思う気持ちが、名人達の偉業の前に萎える。やはり幽霊が怖い。ヨーグルトを日に二百五十グラム食べている。威張っている人がいたのだが、偉いさんなんだろう。風呂は意外に気持ちが良い。寝て見る夢で頻繁にゴアシーンが上映されるが、あまり見た事の無いものが多く、得をしている。ピータンは好きになれない。顔色が良くなったと人に言われた。モロヘイヤも好きになれない。もやしは好きになった。

他にも色々あったし、色々思ったが、まあ色々だった。

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第18回 「無償の舞踏」 
自分は時々踊る。
人に巧い事言われていい様に利用されるという意味では無い。その証拠に自分の踊り場は、自分独りの自室に限られている。衆人環視の中、ようようやあやあ囃立てられ、調子に乗って踊る訳ではない。または、占いの館や自己啓発セミナー会場に於いて「日に三度、二十分、余人の居ない場所で舞踏しないと、死ぬ迄一生あんたは不幸だ」とか「余人の居ない場所で日に一度、一時間、舞踏する事に因り、あなたのチャクラは開きます。そうすれば、もう、あなたは栄光の中、ウハハです」なんて言われて銭払って帰って来て、踊らなければヤバい、若しくは踊ってグローリー!と考えて踊る訳でもない。只、自分は踊るのである。では、どの様な心持ちの時に踊るのかというと、論理に疲れた時である。大体が論理的思考が苦手であるにも関わらず、色々と解りたいなあ、などと、猫の様に好奇するから、疲れる。阿呆が無理するとこう成る。その様な時に、謡曲の高砂の「たかさごや〜」の部分を「アパラチア〜」などと替歌しながら、出鱈目な能の様な、暗黒舞踏の様なものを舞う等すると、実に馬鹿馬鹿しく、疲れ凝り固まった脳がほぐれた様な感じになり大変気持ちが良くなる。興に乗った自分は、舞いに合わせ「ケイパ!」或いは「ニコラス」などの声を発し、また「メイヨ〜」「ロ〜パン!」などの合の手に合わせ舞うのである。見世物では無いから技巧を凝らす必要は無い。既知外と思われる心配も無い。そうして、いっとき、論理や意味や人目から解放され、運動したら腹が減ったので、めしを食ったらうまかった。めしの後にヨーグルトに罐詰の桃を入れて食ったらうまかった。よかった。

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第17回 「どぶに銭、生ゴミに古書」 
先日、自宅の最寄り駅前に、本、CD、DVD、家庭ゲーム機ソフトの中古品を扱う店が新規開店した。以前であれば、この手の店で買い物をしたい場合、かなりの距離を移動しなければ成らなかったので、便利に成って嬉しく思い、良かった良かったと思いながら、自分は自転車を運転して、その店に出掛けて行った。二時間ほど色々と物色した後、古本数冊を購入して、また良かった良かったと思いながら自宅へ帰った。早速、購入した古本数冊を次々にぱらぱらと気軽にめくりながら、どれから読んでいこうかと考えていたのだが、俄かに不愉快になった自分は、内の一冊、「裏のハローワーク」を屑箱に廃棄したのち、洗面所へ行き、石鹸を用いて手を洗浄した。もし、それら一連の動きを行う自分の様を、脇で見る人が在ったなら、その人は自分の顔に、表情らしいものを見出せなかったのではないかと思う。
「裏のハローワーク」をぱらぱら繰っていた自分は或る頁で手を止めた。最初、黒ボールペンで書かれた物なのかと思った。印刷されてある文字の下の余白部分に、一センチ程の長さの縦線がほぼ等間隔で並んであった。一頁分に並んだ線の数は三十にも及んでいた様な気がする。数秒ののち、その線が黒インクで書かれた物では無い事に気付いた自分は驚愕した。それらは人毛であった。多分、鼻毛だと考えられる。

鼻毛テロだ。怖いもの見たさの心理が働いたのかもしれない。自分は他の頁をめくってみた。結果、鼻毛テロは数頁に及んでいた。
自分はこの本を百円コーナーで見つけたのだが、百円ゆえに紙の状態や、書かれてある内容に留意する事をしなかった。タイトルと帯のコピーだけで購入した様なものだ。こういった姿勢だから、鼻毛テロに遭うのだ。

以後、細心の注意をはらい、鼻毛の潜伏場所を発見した場合、ただちにレジのあんちゃん、ねえちゃんに通報しようと思う。

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第16回 「樹木蹂躙」 
北上なんて言うと、「負けました。私」とか台詞して、晩秋の曇天の空の下、逃避行する人達、例えば債務者、駆け落ちの男女、逃亡犯等の姿、若しくは行軍中のズタボロの兵達の姿が思い起こされるが、なんの事はない。自分はただ漫然と北へ向かって散歩しているだけで行き着く場所は精々が京橋。「北上なんてまた随分と大仰な物言いじゃねえか。悲愴を演出してるんじゃねえよ。投影して自己憐憫してんじゃねえよ抜け作が」なんて声が脳内から聞こえて来たので「まったく、仰せの通りの甘ちゃんだ俺は。逃げても京橋だ」なんて、また暗澹たる心持ちになりそうになったので、スタンドに寄り、焼きそばと500ml缶入りのビアを購入した後、濠沿いのベンチに腰を下ろした。「ふふふ、俺の場合は逃避。街離れずして逃避」自棄にも成れず、向上もせず、このベンチに腰掛け、手に酒精を持ち、膝の上には諦観やら焦燥やら一縷の望みを乗せたまま、あほうの先人の様に「負けました。私。あすなろの木も枯れました」とか言って終わるのだろうか。侘しいな。

自分は幾度繰り返したんだろうか。このみっともない有様を。 てな風に、暗い遊びをしていると目の端に掛かる事が。 植林された樹木に白地で「正義」まさか、「まさよし」と読むのではなかろう。何故そういう印象を受けたかというと、他を誹謗中傷する場合、感情が暴発したのか、意図して兇暴な感じを出すためか、殴った様な筆跡で書かれる事が多いと思う。逆に自分の名をその様な不吉な感じで書く人もそうは居ないのでは無いかと考えたからで、やはり「せーぎ」と読む方がしっくり来る。自分は「せーぎかあ、へえ、そらすげーや」と、厭味たっぷりな気持ちになった。嫌いな言葉は多い。正確には、言葉自体には罪は無いのだけれども、人から発せられた時点で腐臭を帯びる言葉のひとつに「正義」も在る。しかも樹木に。なにそれ?
肉も命なら野菜や草木も命である。自分はロース肉に「ピース」とか書く気持ちは解せないし、例えばそれをアートだと言う人があっても、「へえ、そんなもんでっかいなあ。気色わる」くらいの感想しか浮かばない。なんにせよ自分の心が怒りに遊び出すのを感じ、生きる気力が湧きました。これなら人に会っても大丈夫だろう。自分は「いっぱいやりませんか、京橋で」と友人に電話で提案し彼も「いいね」なんて、利が一致。自分は残りのビアと焼きそばをやっつけると、京橋に向けて歩き出した。
手に苔玉ぶら下げ、虚仮威しの正義を虚仮にしながら。

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第15回 「コケ猿の苔玉 」
煙草屋、生花屋、うどん屋、床屋、廃屋、純喫茶、無人交番、印刷所、家屋、コンビニエンスストア―、雑居ビル、切りが無い。なんせ色々の前を自分は歩いて、借りた物を返す為にツタヤに来た。で、然る可き後、再び往来へ出ると散歩を再開した。借りた物を返すと実に晴れ晴れと清々しい気持ちに成る。「変態村」と「トンマッコルへようこそ」を返しただけでこの調子である。これは借銭についての事では無いのだけれども、今日迄のらくら生きて来た上で作ってしまったあれこれ。それらを返す事が出来れば、さぞ上手く歩いたり上手く笑えたりする事だろうなと、些か心持ちが暗い様な事に成りそうだったので、否々、今は止そうと自らの心に隠蔽工作を行った。自己を欺瞞して。閉塞を駆逐して。親の仇までもを祝福する勢いで。晴天の下で。

さて、どこを歩いてやろうかと考えるまでもなく、大阪城公園に足を向けた。十分も経たぬ内に公園の南東角、辰巳に位置する入口を抜ける。市が立ち並び、色々の草花や苔玉、小振りの樹木までが展示即売されている。自分は色々な事に詳しくないが、此所でもやはり素人である。しかし素人とは云うものの、綺麗、可愛いらしい位の感想は持てるものではある。
苔玉が欲しくなった…

遠の昔に身罷った祖母も、アロエだのパキラだの薔薇だので裏庭を植物園の如く造作していた。その頃の自分は遊び盛りの小学校の餓鬼で、その庭になんら特別な感想も持たなかったが、老爺老婆等が植物を愛でる気持ちが数年前からぼんやり解す様な事に成り、近年その傾向は強まっている。自分はこのまま涸れて往くのではないかと、些か不安になる余り、「否、これは気の迷い。些か疲れているからだ、いかんいかん」と歓楽街で酒を呑み友人達とギラギラと明るい、意欲的な未来の我等の事について語り合っていたが、もう駄目だ。
自分はこの苔玉が欲しい… へっ、構やしねぇ… 苔玉ひと玉で涸れてしまう俺ならば、いっその事涸れちまえば良いのだ、根腐れ者が… 自分は相当額を露店のひとに払い、濡れ新聞で保護され、白無地のスーパーマーケットで貰う袋よりもやや小さいビニール袋に入れられた苔玉を受け取った。名付けしてしまいそうに成る程可愛いらしい。そんな薄気味の悪い事を思いながら、そんな思いを余人に気取られぬ様、サイバーダインの様な無表情な面で。園内を更に北へ歩き出した。

つづく

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第14回 「再生 」 
非道い吐き気をなんとか治めるべく、蒲団の上に横になったまま出来るだけ楽な体勢を探して、枕を二つ折にして頭を高くしてみる、胎児の如く丸まってみる、右に左に転がってみる、頭を抱える、膝を抱える、宙を掴む等、まあ、暗黒舞踏の様な事をしていた。しかし、ひとつの型を作って、苦悶から解放された心地になっても、それは刹那の事であって、何時まで経っても根本的な治安回復に到らない。どころか、状況はますます非道くなってゆくばかりで、意を決した自分はぐらぐらの頭で、のらくりついた体を便所へ運んだ。宿酔いというよりは、まだ酔っぱらっていると言った方が正確だろう。そんな状態で便所に籠った。

幾分楽になったものの、虚脱したままテレビの前でめしも食わず、煙草も吸わず、リモコンをポチポチさせながら座っていたのだけれども、ゴルフ、感動の再会、競馬、野球、占師、どれも要らない。尻を掻いたり屁をひったりして暫く無為な時間を過ごしているうちに、どうやら体も楽になって来た。まだ陽も高いし、ツタヤに借り物を返しに行かなければならない。それに散歩でもすれば腹も減るだろうてな事を考えて、自分は適当に着衣をして表へ出たのであった。

と、それ見た事か、気持ちの良い。なんだかまっとうな人間になった様な気がして自分は嬉しくなった。そんな事くらいで喜んでいる自分を嗤う者もあるだろうが、なぁに、笑う門には福来たるなんて云うから、そんな奴ぁ、随分と幸せに成りやがりゃいいんだ。
自分は歩く。徒然に歩く。そんな自分を路傍の雀がちゅんちゅんと祝福して呉れていた。自分は果報者である。

つづく。

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第13回 「歓酒 」 
今季の暖冬が温暖化と関係あるのかどうか。
勉強が足りない自分には分からないので、暖冬だ暖冬だと呑気に喜んでいても良いものかどうか分からないのだけれども、冬は寒くて腹が立つ。腹を立てている間は気も張れているので「冬将軍のぼけが…何が将軍じゃ、勲章胸にちゃらちゃらしやがって…おーおー綺麗やのう、そらフルーツサラダか?前の方でようけの駒がハラワタ晒して倒れとんど…」とかなんとか、口の中でぶつぶつと将軍を攻撃する事に依って自らを鼓舞して凌ぐ。尤も冬将軍の歩兵は寒気とかであって、気体は肉体の様にハラワタ晒す事はないので自分が言う事は理に適ってはいない事くらい分かってはいる。そらそうだが、なーに誰も聞いちゃいねえから大丈夫。しかし、冷えた上に腹が減り、しかも腹を立てる気力も湧かぬ時に。
「咳をしても独り…停電…なんだかぼくねむくなっちゃったよ…寂死…没…枯れ木にぶら下がる奇妙な果実が乾いて揺れている…いっぱいのかけそばは一人占めせよ…負怖婦…三叉路を左へ向くか右へ向くのかどっちにするのか知らないけど、ふふ、どっちも霊冷暗闇の道だよ…腐泥…死ねばいいのに…総好かん…肝硬変…はは、そのていたらくでよく恥ずかしくないね、強いね君は。ははは…債務…」とか。
黙れ!貴様らっ!俺の頭の中で勝手な事を言うな!うわぁぁぁ……自裁したくなるので急いで阪急そばなどに緊急避難しなければならない。「すんません、たぬき下さい」食券出しつつ。しかしまあ考えてみれば夏は夏でうわぁぁぁと頭の中で叫びながら「ざる下さい」と言っているので、気候だけのせいにもしてはいられない。が、もちろん食券を買えるうちはまだまだましで、淀川の汚泥でこねた泥団子がおはぎに見え出したらいよいよもう駄目だ。自分は子供の時分からおはぎは嫌いだ。いったい自分は何を言っているのだろうか、情けの無い。

聞いたところでは、暖冬の年は三月に入ってから急に気温が下がる事がままあるらしく、なるほど三月は冷えましたが今度こそ春の様ですね。「この盃を受けてくれ どうぞなみなみつがしておくれ 花に嵐のたとえもあるわさ さよならだけが人生だ」なんちう事をゆうた人もあります。
卒業おめでとう! は?誰が?
うわぁぁぁ!来るなぁぁぁ!

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第12回 「溜息ついたり、ほんげ〜とかゆうと力抜けていい。 」
がらがらがらがらがら。 あ、これは僕の心が砕けた音なんやけど。 がらがらがらがらがら。しかしまあ、遠くの方からのジャンレノと竹内力の大喧嘩の擬音かも知らん。 メルシーおおきにぶっころす。 さて皆さん現在自分は患うなんちう洒落た状態にあるので猫と添い寝するとか、トマトに塩かけたのをあてにビア呑んでふざけていたい。
嗚呼…ふざけたまんまで死ぬるまで…
一生遊んで暮らしたい。浮世の馬鹿は起きて働け。
畜生、ほそきかずことか映画のコマーシャルとか便所や風呂場の洗浄剤のコマーシャルとか泣きたがったり泣かしたがったりする人等とか虫も殺さぬ顔で喘ぎ声が凄い…あ、これはエロくていいなぁ…なんせ色々とむかつくなぁ… と、こう色々とむかつく事が多いという事は自分自身に問題があるのかも知れやん。ちうか、そうなんだろう。自分は気に要らぬ事は一切せぬ。気に要らぬ奴とは口もきかぬ。邪魔する奴はぶっ飛ばすなんちう生き方はでけない。巷の芥どぶの澱。 乖離。
えーとなんやっけ。ああそうそう春やね。花見とか。冬あったんかなんか分からんかったけど。

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第11回 「下山 」 
で、酒精が穴ちう穴から蒸発してゆき、すっかり腰が引けた自分は、けだもの道と祠を前方に、引き返そうと心内で決めた。声に出して例えば「ぼーくは町の子帰りましょ〜♪」と不安を隠蔽し努めてファンな感じで決意を表したところ「あにき、すまんなぁ、恨みはないんやで、かんにやで」と言いながら12時方向のけだもの道からの遺体遺棄業務帰りの人に存在がバれてしまう怖れがあるし、或いは2時方向の祠。こちらから肉や骨を断ってヤってこますどころか、皮シュツと裂き血を流しめる事すら出来やん様な、要するにスーパーナチュラルな存在に「なんや、人め、肉め、死なす、」とか言われて実際脅しやなくてヤられる、具体的には自分を肉塊臓塊にするモノに存在がバれてしまうかも知れないと身の危険を感ずったからだ。 大袈裟であり、びびり過ぎだと思うだろ?まあ自分は映画の観過ぎなのでしょうがない。小学生の餓鬼の時分から人体破壊描写を売りにする様な映画を見過ぎたらこうなる場合もある。金にもならない様な想像力は米海兵隊に放り込まれて、消去してもらえばいいんじゃねえの?自分はハルマゲドンとかソドムとゴモラとか末世とかアキラカネダとか、そんなスペクタルはなかなか来ないと考えているし、ちうか、ほんまにそういう大波が来たら「あーあ…」と言うて大勢として死ぬ。大勢だから。「いやっ!」とか抜かして。ちうか多分真っ先の方で死ぬだろう。「いやん!」とか辞世の言して。 しかし今日死ぬのはヤだな。だから、「やっまを―おりるぜっハレル―ヤ♪」ちう様な適当な歌を遠慮がちに口の中で唄いながら来た道を戻った。暴力に負けない様に。

両の手で目には見えないカラシニコフを構え。

そして数十分後霊園に着。麓に降りた後、最寄りのJRの駅まで送迎して呉れるマイクロバスに乗車。運転手が色々気に入らないんだろう舌打ち。幼児達が無防備に姦しく放吟乱舞。保護者は構わずパチスロプライベートライアン。自分は内々にカラシニコフ捨ててアップルグレネードで自害。駅前のラーメン屋で飲酒。市内着。大阪駅で機嫌悪し。歯ぎしりで歯が痛くなった。今日は駄目だった。明日は吉。うはは。

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第10回 「続・山舐めんな 」
心に尊ぶ鰯の頭も持たぬ身ではあるが自分は山とか怖い。山以外にも怖いものは多い。毎日毎日戦戦恐恐で生きている。饅頭怖いとか云って人を欺き利を得る狡猾さを持ち合わせていれば色々と怖いものも減少するのだろうが、嗚呼なんたらこった、自分にはそんな頭が無い。そんな頭は無い自分にも山を恐れる頭はある。悪戯に山に入り、行きて帰らずと為る人々が後を絶たない。恐怖映画などを観ると山だBBQだ薬理だ淫行だと、遊びに来たあさはかな若者達に対して地元のお爺さんが「お山に入る者を護る者は無い。藁も火も香もすでに役には立たなくなった。手足の無い悪意が満ちている。裸に為って献血しても貴様らは皆全部子供には成れない。だから今帰れ。すぐ帰れ。」とか何とか警告をするが、ただでさえ怖いもの知らずの若者達に対してその様な謎の言葉は無効であり、若者達は「きしょいぜじじい!」か何か馬鹿にし切ってずんずん山に入り傍若無人、好き勝手ヤる。んで、まあ、何か得体の知れぬ異形のモノの圧倒的な暴力により若い身空で次々と命を落してゆく。郷に入れば郷に従えと云う言葉が身に沁みる夕べである。お爺さんはきっと山のモノの力を目の当りに見たのだろう。その驚愕のせいで些か精神に異常を来したせいで言葉の組み合わせもファンシ―になってしまった。かわいそうに。「この山は熊が出てヤバいぜ。入るとややこしいから5キロ先のキャンプ場、あすこはいいぜ?便所も水洗だしな」とか、どうせ山のハイパーバイオレンスの存在を信じない若者達に熊以上におっかねえ存在が在る事を伏せて、安全な地域へ若者達を誘導する機転も利いていたのに以前は。山は怖い… 自分は酔っ払った身でふらりへらりと二十分程登って来た。気が付くと行き止まり。否、正確には今まで歩いていた小径より更に細い、こう云うのを獣道と云うのだろうか。両側から名は知らぬが触れると皮の切れそうな雑草の覆い被さる幅五十センチ程の径を12時に。2時の方向に祠を。陽はまだ高く、雑木に遮られていても尚辺りは明るい。しかしなんだか酔いが覚めてきやがった。ちょっと怖い様な気がしてきた。

つづくかも

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第9回 「天狗に成るには下積みが過ぎた。
先日、山を歩いた。ちうても、はなから山を登ってやろうと計画して山へ赴いた訳では無い。その日自分は慣習に従い山の中腹に在る先祖代々の墓を参っていた。墓石の建つ周りに敷かれた砂利から自生した名も知らぬ草を毟り、墓石を水とタオルで洗い、蝋燭と線香に火を灯し手を合わせ、うにゃうにゃと家内安全無病息災富くじ三億円等と云った虫の良い事を口の中で願ったのち、まあ成仏してくらはいととってつけて云って、まあこんなもんで良いかと霊園の一画に在る休憩所に設置された給茶機から温かい茶を洗浄済みの湯呑みに注ぎ、安っぽいちうか明らかに安い木目調子の合板長テーブルの前のやはりやはり安いパイプ椅子に腰掛け、茶をすすり煙草に火を点けて弛緩した。安いが安らかではある。茶も煙草も旨い。まるで野良仕事の合間に一服しているお爺さんの様だなと我が事を思い惚けている内に窓の向こうの山腹木々の間に小径が目に入った。この後の予定はと云うと別段無い。近日中に成さんければ成らぬ事はあったが、自分は小学生の時分から納期が迫らないと何も出来ぬと云うかやらぬと云うか、まあだからいつもテンパりロンパる。関係者にも叱られる。情けない気持ちになって嫌だから次こそは早期に宿題を済ませてから遊ぼうと誓う。だのに、しかし自分は山に登ってみようと思いつき小径を歩みだした。誓うと云ったが、特に自分には信仰する神が無い。だから自分は野放図に遊んでしまうのだろうか。こんな事になってしまうのであれば鰯の頭でもモアイ像でも良いから誓いを立てる神を持つべきであったろうか。そんな事も頭を過ぎったが否、山岳信仰だ修験道だ天狗だと浮かれながら小径を歩みだした。やはり墓参の折には飲酒は控えるべきだったろうか。 次号、つづく。

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第8回 「やってやろうじゃねえよ!!」
とはなかなか言えない。極めてキツく肝括らなければならん。撫でられて転がされて腕チョンパされて足チョンパされた貴方。それでも私は負ける事は出来ないのだと息巻いて吹け上がって、重心を欠いた体をなんとかかんとか屁っぴり腰の泣きっ面のみっともない形で、おまえら今日から全員敵だと吠え散らかして独個独走する事が出来ますでしょうか。仁さんの如く。仁さんの如く。痛ってぞー、罵裏痛ってぞー 

何に対してやってやろうじゃねえかと言いたいなー、言えたらいいなーとお前は云っているのかと問われると明確には答えられない。否、本当は答えられるが黙する。話が長くなるし今現在自分は昂奮状態にあるので阿呆うの腹巻きみたいな事しか書けん。さて、仁さんて誰だと問う人も中には居るかも知れないので気になった人があれば、特に年端もゆかぬ、日々鬱屈、閉塞、断絶の渦中に在り、外に若しくは内側に向かって荒くれ、管まいている少年や少女の皆さんに石井聰互と云う映画監督の名をここに記すので後は各々ネットで調べるなり年長のおっさんおばはんに尋ねるなりして下さい、職場や教室で。先方が眼を輝がせる様な事があったら、そのおっさんやおばはんは貴方方の長い友になるやも知れません。燃えカスかも知れませんがそこは貴方達の眼力でなんとかして下さい。それでは自分は再びサンダーロードへ乗り込むので左様なら。

いやぁ ロックってモノを思い出しましたよ自分は。

石井聰互作品集DVD−BOX1 PUNK YEARS 久しぶりに大人の買い物して青い気持ちを思い出したぜ!!

へっ、給料日まで納豆とカペリンで凌いでやろうじゃねえよ!!

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第7回 「プロモビデオで泣いとーる。笑わっしょんな―」
人間、物事が自分が思った通りに上手く運ばない時は当然歯痒い。個体によって対処の方法はいくつかに分かれるのだろうけど、まあだいたい酒飲んで管を巻くかスピードの出る乗り物を運転するかチョコレート等の甘い物を摂取するか薄暗い部屋でピンクフロイドのザ・ウォール等をループで流しながら私はなんという不幸者であろうと自己憐憫の三角座りするかとか、まあ周りに実害が及ばない限りであれば全然良いけれども、とち狂って余人を傷つける人がある。センチメンタルのロマンチンタルである。余人を傷つけちゃいかんだろ。だいたいセンチメンタルロマンチンタルな人と云うのは感受性が強いだの、傷つきやすいだの、ガラスの十代だのと云っては、どちらかと云えば擁護される傾向がある。特にロックだとか云うものを標榜している世界では。

阿呆うかと思う。合法非合法問わず多くは薬理下において猟銃やら飛び下りやら、まあ何でもいいが自害する者があるがそら構わん。死にたいものは早々に死ねばいいと思う。頑張って生きていればいい事もあるなんてのは、まああながち綺麗事とは思わないがちょっとやそっとで保証などは当然出来ないし、友人から「いやーぼかー辛くてね―終わりたくてね―もう。」なんて言われたら、いやぼちで頑張ろや、ド阿呆うが、だるい事云うとったらど突くぞくらいしか自分には言えないと思う。まあそれでも死ぬもんは死ぬだろう。最終仕方ない。自分は次ね日も早朝から仕事だったしな。余人を殺傷する様な奴等よりゃマシだ。殺し屋1よりゃマシだ。で、世間にはイチみたいな奴等が大勢だ。悲しい歌を悲しく唄う奴等が大勢だ。自己憐憫で自慰をして泣いている奴等が大勢だ。自分が傷衝けられた事ばかり後生忘れず自分が傷衝けた事は忘れている様な奴等が大勢だ。全くセンチメンタルロマンチンタルだ。ちーとは自分の馬鹿さ加減を上から見て鼻で笑うくらいの目を持ったらどーなんだ。
と云う様な事を考える自分は。暮らしていて甘えているなと自覚した時に。秋だしおセンチになっちゃった。

余談だけれども馬鹿の頭に『お』を付ける輩が未だにいるが、あら非常に不愉快だ。例えばショービズカウントダウンの嫌味な女とか。

秋の夜長の虫の声、ちと呑み過ぎたか。ははは。

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第6回 「脳がメルトダウン」

暑い・・・ちうか、熱い・・・国道25号線通称、御堂筋の淀屋橋北詰、大阪市役所前で信号待ちする事が多い。此処を往来する人の大勢は、土佐堀川の南岸沿いに建つビルをよく視ているのではないだろうかと思う。何故かと云うと、電光掲示により天気が予報されているから。今日は晴れで37℃ですよとかいった具合に。暑いのはいわれなくとも分かっているのだけれども、37℃ですよとか数値化されると、青菜に塩でヘタレてしまう。稀に、それ程気温が高ければ辛いのもしょうがねぇ、良くがんばってるじゃねえか俺も、と、まぁ、心身の都合が良好な時は考えてみる事もあるけれども、概ねの場合、視るとぐったりする。じゃあ見なければ良さそうなもんだが、信号待ちは退屈なのでつい視てしまう。

大勢は顔と顔を合わせば天気の話をする。えらい晴れてまんな、えらい雨でんな、どえらい曇天でんな、槍は流石に降りまへんか、猛暑でんな、極寒でんな、小川がさらさらでええ陽気でんな、枯葉よ枯葉よと切のうなりまんな、などと言っては天候時候の話をする。何故かと云うと、政党、野球団、サッカー団、力士、スター、思想、宗教等の支持するモノや、性癖、犯罪歴、出自、病歴等の個人情報は相手を選んで開示しないと怖い。迫害を受けたり、紛争が勃発したりする事があるので怖い。しかし、今日は良いお天気でと挨拶して、いきなり先方がアサルトライフルを構えたので驚愕したなんて事はまずない。否、あったぜ、私の場合はと云う人もあるかも知れないが、それは言葉の問題じゃなくて、あなたが先方に嫌われているか何か他の理由からであろう。ガムあげるよと云っても先方はやはり銃口をあなたに向けた事と思いますよ。天候時候の話は無事でよろし。

結局のところ何が云いたいかと云うと、暑くて融ける・・・屋内労働者になりたい・・・そんな事しか書けないくらい暑い・・・


 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第5回 「つかずはなれず はなるるはできず」
携帯電話が広く普及して久しく、今日では携帯電話が無いと心が著しく動揺し、気が触れた様に成る人もあるらしいけれども、自分に掛かって来る電話と云えば、全くもって未知のモノからシャブを買いなさい、左もないと家に火を放つよ?とか、貴方は人と出会いたくて淋しくて、もしくは性交したくて然るべき所へコンタクトしたでしょ?料金が発生しているので払ってください、左もないと地獄へ落とすよ?と云った様な禍々しい類いのリンばかりであり、自分は呪われているのであろうか。自分はリーガルなドラッグ、酒で間に合っているし、友人にも困っていない。むしろ大勢に出会いたくない。例えば、生きて呉れていてありがとう、貴方。貴方を祝福します。三百兆億万円上げますから、そんな貧たれな歌唄うのはお止しなさい。泣くのはお止しなさい。怒るのはお止しなさい。銭の事を考えて頭から煙を出すのはお止しなさいプシュンなんて音をさせて。弛緩しなさい。腑抜けなさい。籠ってしまいなさい。世を捨てなさい。メメントモリを止めなさい。その様な福音を告げるリンが来た事がない。一度も。だから自分は固定の頃から電話が嫌いだ。テレフォンノイローゼだ。甲斐バンドなんて今日の若者は知っているのだろうか。鶴瓶と仲が良いんだぜ。
 
メールってのは自分も都合よろしと思う。直電と比ぶれば、私は彼を、彼は私を邪魔する事がすけない。例えば、「僕は今、雨に打たれていて冷たくて大変だが、君はどうだい、滑って転んで擦り傷なんか作っていないか?」と云う電文を友人に打つ。その友人は自分とコミュニケートする意思があれば、「やぁ、大丈夫だよ。僕もいっぱしの大人だ。もう、かさぶたを剥がす遊びとは無縁だ。モニターと一日中だから眼性疲労やメニエール病には悩まされてはいるがね。それより君のほうこそ、いまだに単車便なんて仕事をしているそうじゃないか?シンミのシミになったりしない様にくれぐれも気をつけて呉れよ?」なんて返してよこすであろうし、逆に友人が暗黒面に遊んでいる時であれば、「誰だこいつは馴れ馴れしい。ああ、そうか、友達か、そうか。しかし俺はこいつとの付き合いにはほとほと疲れちまった。ファック..... ロコと遊ぼう。ロコ?ああ、そうかコレは猫か、そうか。よく分からないな。えぇと何だ、そうだ、ギターだ。ギターを弾こう。爆裂しよう。サンダーロードで狂い咲こう。オールデスだ。ファック.....。」とか思って、自分の事をシカト。友人は思うがまま暗黒に遊ぶ事が出来、自分もその様な事であろうよと推察し、「やい、君は返事もよこしてこずに、友達甲斐のない奴だね。」なんて四角四面な事は云わん。またいつの日か僕の事を思い出す日の来た時には、酒でも呑もうじゃねえか。何だ澄み切りやがって馬鹿野郎!すかしてんじゃねえよ、こら!夏の空!なんて云いながらグリーングリーン。

そう合点し、自分は眠る。ほうら、直電と違って便利。今年に入って著しく電話にまつわるヤな事があったので、そんな事を思いましたよ。

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第4回 「燃やし野郎」
たまに咆哮したくなる時がある。自分は普段はぼそぼそと喋っているので人から「あ"?しゃっきり喋れや、もやし野郎」なんて指導、鞭撻を受けてはいるが、実は長い事歌手を演ってきた事もあり、そこそこ凶暴な音を発する事が可能である。凶暴な音を出すもやし。爆裂もやし狂い咲きサンダーもやしMADもやしモほうら格好の良いものではない。もやし自体は畜肉と炒める、ちゃっと茹でてポン酢をかける等するとおいしいと云われて重宝もされるが、もやしと形容されたヒトと云うのはもやし自体の様に重宝がられている訳ではない。もやしみたいだね君はと云われた場合、是即蔑まれた訳で、同じ食物に見立てられたからと云って、妙齢のお嬢さんがピーチだベリーだのと形容されるのとは訳が違うのだから、「誰がもやしじゃなめとったらもやすどこら」と凄みを利かすのも結構だが、でも兄貴よぉ、逆に日の当たらない場所に埋められてしまわない様に気を付けた方が良いと思うぜ。もやしだけに。復讐がしたいなら辛抱と勉強だ。蛇になり100年待ちなさい。暴力こそが正義と云うのはエテ公の時分から変わりがない。暴力は策と組んでより強固な権力になり、その力に見合った数を統治し利益を得、いよいよ不都合が生じると実力を行使して黙らせる等するから頭の悪い脆弱な市井のもやし野郎はルサンチマンまみれになって思いつきの歌を唄ってみたりするが、まぁ多勢に影響はない。ははは。くだらねぇ矜持はどぶに捨てちまったぜグリーングリーン。この世に生きる喜びそして悲しみの事をグリーングリーン。

しかし、たまに咆哮したくなる。と云うのは、冒頭の件であるけれども、電車の中、信号待ちの往来、自宅に於いてさえそれは叶わない。自宅と云えども野中の一軒家ではない。脇から苦情が来る。どつき倒される。110番される。脳病院に送致され薬漬けにされた挙げ句、どこに出しても恥ずかしくない立派な既知外になり、前衛詩人の綴る様な詩編を咆哮し、看護人が嘲る。クソダラマタオレヲワライヤガッテと怒るが、此処は隔離病棟。家族友人も会いに来ねぇぜ。俺は悲しい。とても悲しい。

そんな事になるのは嫌だから、自分は仏の顔して日々暮らしている。グリーングリーンを唄ったりしながら。腹の中は真っ黒なのに。どうも顔筋がうまく動かない。

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第3回 「猫と寝る此岸の春」
在宅時、自分はよくテレビを点けている。ほう、あんたはテレビが好きなんですね?と思う人もあるだろうけど、それが一概にそうゆう訳でもない。事前に雑誌、新聞のテレビ番組表を閲して、よし、これはぜひ在宅して観よう、もしくはビデオで留守録しておいた後、気の向いた時に観よう、等と努めて思う事は少なく、概ねは流れるままにしているに過ぎない。以前、一緒にテレビを観ている人に「何を難しい顔をしているのか?」と尋ねられて、意外な質疑であったのでいささか驚き、逆に「なぬが?」と問うた事があった。と云うのも、その時観ていた番組と云うのはバラエティー番組と称される類のどちらかと云えば「馬鹿な事云ってるよ、どうも」なんてゆるゆるへらへらと観るのが相応しかろう番組で、どうも自分はそれを怒った様な顔をして観ていたらしい。本当に腹を立てているのであれば、チャンネルを換えても良いだろうかと同席の者に尋ねるか、または楽しそうに観ている場合であれば、仕方がないので席を外すかする様なもんだから、その時の自分の心持ちは無感動な状態で「特に思うところなし」と云ったところであったろう。ここで少なからず困る事があるのだけれども、自分は特に何も考えていない場合、傍から見ると不機嫌な顔に見えるらしく、誤解を受ける事がある。顔筋操るって難しいね。
 テレビに出ている人らが大変だなと思うのは、そんなに驚く様な事ではねえだろうと云う様な物事に対して、エーだのウヒョーだのと驚いて見せなければならない立場にある事だ。箸が転げば笑う、風が吹いても勃つと云った様な若い人達ならともかく、酸いも甘いも噛みわけていい齢ぶら下げたおっさんおばんが、小事に対していちいちあの様に驚く筈がない。それでは何故あの様に驚いて見せるかと云うと、そら、仕事だからと云う事は茶の間もしくは職場等の休憩所のテレビの前のみんなも知っている。知っていて乗る。欺瞞とも云えるが和とも云える。

毎日毎日人が死ぬ。故意により事故により人が死ぬ。んが、余程奇抜な事件、事故で無い限り、歯牙にもかからない。見も知らぬ人等の死とはその様なものである。何も冷たい事ではない。いちいちそんな事に驚いて感情を動かせていては生きては行けない。心は破綻するだろうぜ。

自分の様に日常習慣的に電波を垂れ流しにしていない人からすれば、何を当たり前の事をと思うだろうけれども、今日は日曜で自分の仕事は休みなのだが、朝からテレビは点けていない。静かである。実に快適である。朝ごはんと昼ごはんを頂いて今現在、夕ごはん前なのだけれども、西の空が白や青やオレンジで綺麗な事になっている。

いやー 実に静かだなぁー



 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第2回 「ホテルルワンダと餓鬼戯れ」
屋根と壁が在って風雨に我と我が身を曝す事なく平穏にとろとろと眠れる事の有り難みが沁みる季節だ。平日平均8時間屋外に居る。冬将軍はとっとと帰ってくれと切に思うが北方のロシアでは零下35度とか意味が分からん。自分の様に3度の気温で泣きが入る様な脆弱な骨皮筋右衛門は確実に死す。

2年程前だったろうか、知人が数カ月間ばかり大阪城公園内でブルーシートバラック暮らしをしていたが、肺臓を病んだとかで実家に帰ったんだと彼を知るまた別の知人から知らされた時、うらやましいと云うのでは無いけれども何か懐かしい様な感想を持った。とは云え自分は彼の様にセミプロの路上生活者になった事は今の所ない。が、外寝する困難の尻尾に触れた事はある。15年以上も前の話だけれども、あら確か1月か2月、この国が最も凍てつく頃の深夜の事だが、つまらない諍いから、その当時住んでいた家を啖呵を切って出奔した事があった。手持ちの足は3万円ばかし。単車があったし移動には困らない。矜持を捨てさえすれば行けぬ所も無いではなかったけれども、自分は強情であり傲慢であった。まぁ何とかなるだろう、へっ。

天七にあるホクテン座で何を観たか忘れたが、二本立てをループで観た。周りは眠りに来たおっさんばかし。朝を待ち、万博記念公園でほか弁を手に太陽の塔を眺め、寒い、動こうと南港へ向き、湾を眺めホホジロザメの居ない海なんてな・・・と1時間もしない内に冷えたジョージアを片手に。と云うか、入水スーサイドとかアホちゃうんか、意味分からん、もっと楽なやり方ないんかよとかろくな事が頭に浮かばぬウェットなアホ。

ああ自分に酔っているな、くだらないと今のおっさんの自分であれば一笑に付すところであるが、その頃自分は若かった。自己憐憫を楽しむ頃であった。自己を世間を呪っていた。自分が爆薬に詳しかったり、暴力が得意であったりして幼児性を遺憾なく発揮できる資質がなかったと云う事は、世間にとっても自分にとっても大変良かった。

自分は先の如き徘徊を数日越す内、遂に屋内に身を置く為の財が底をついた。その後、靭公園や滝川公園で眠る事になった。正確にはキンキンに冷えて眠れたものではなかった。骨が痛かった。煙草の煙だけが豊かだった。敗北。ごめんなさいをした。

温かい湯に浸かった後、温かい味噌汁と二菜とごはんを食べた。泣きそうになった。

小児の遠足の様なものである。

11年前の震災の折り、自分も神戸に居たが、身内が死ぬ様な事はなかったし、体も丈夫だった。それなりに大変な目に遭ったが、基本、興奮気味にボーイスカウト、瓦礫の中を単車で走り銭貰い暮らしていた。その時に考えたのは、風雨に曝される事なく眠る事ができる、ごはんが食べれる事の有り難み。

誰でも云いそうな事を云うけれども、自分らは恵まれている。相対的に。

極地にばら撒かれて生き残れるかどうか?おまけにそこに自分らをねじ伏せる極で云えば殺すもの、圧倒的な勢力が攻めて来た時に、ギブミーチョコレートと云ってしまわない自信は自分には無い。

サムゲタンだろうがボルシチだろうがミネストローネだろうがクラムチャウダーだろうが親を殺した人達の国の温かいスープを自分は飲んでありがとうと云ってしまうのかもしれない、またそこで泣きそうになってしまうのかもしれない。

屋根と壁。脆弱。鍛えた方が良いと思う。国とか政治とか知らんけど。

 お〜い!!どぶやん High-Risk Low-Return 第1回 「どぶと山麓、初日の出」
昨夜までは小学生であった。寒い寒いとうるさい自分の為に祖母がこしらえてくれたクリームシチューを食べながら、テレビで水曜スペシャル 川口浩探検隊猿人バーゴンをなんたらのジャングルに追う!!を観てぬくぬくと扶養家族としての幸せを享受していた筈なのに、今朝目を覚ますと現在の四十前のおっさんに成り果てていた。

なんちゅう事があったら、そら困る。困るなんて余裕を見せている状況ではない。

混乱の極北である。泣いたって済まない。

フランツ・カフカやフィリップ・K・ディック等の書いた自我崩壊の物語を餓鬼の頃の自分は知らなかった。しかし、現在のおっさんの自分は、それらを知っている。気がつきゃ、いきなし七十のじじぃで、全身赤づくめでおねえ言葉を使いつつジャン横を流しているという不条理な状況下に置かれた時、そらやはり、はなはだ混乱する事は必至ではあるけど、少なくとも餓鬼の頃の自分と比ぶれば毛も増えている。環境適応能力、状況判断、臨機応変、海兵隊なんて処世の為の手段も餓鬼の頃よりは知っている。

自分自身に対する諦観や絶望や嘲笑を幾度も繰り返し、また自分の無能、罪悪、醜悪、汚濁、腐臭、不正、不実、卑小も自覚した結果、まぁ、ちぢれ毛の様ではあるが、達観した人の真似事をして思考停止、真っ当な白日の往来から降りた部分、ある意味のしたたかさを身につけてもいる。

しかし餓鬼の自分は、段階をおいて自分自身にがっかりしていくと云う過程を経られぬまま、免役の得られぬまま、こんなでたらめなおっさんに成ってしまっていたのである。

心は破綻するだろうぜ。狂い死にであろうぜ。
 
「ぼっちゃん、おじょうちゃん、エスカレータでは・・・じゃねえや。
君たちは無垢だねぇ。ほっぺが柔らかいねぇ。おっちゃんはなぁ、世間、社会、天下国家のイーブルよりも、おっちゃんの内なるイーブルが気になるんだよ。
金もなければ、コネもねぇ、体も病弱で、頭も悪いってね、水戸ちゃんが云ってたけどね、みじめだねぇ、お父さん仕事何してるの?」と、くだを巻いて、ヨタヨタした夜があった。

それを制し、たしなめ、心底自分を見下しながらも、不思議な事に付き合いをする友人達がある。ありがてぇ事である。いや、まじで。

がんばれよ、やれば出来るよ、なんて文言は無責任で云われた方からすれば大変危険で警戒すべき文言であるけれども、こういう人たちに云われるのであれば、まぁ頑張ると云うか、身の丈より少しでも高い所にめんち切ったろかと餓鬼みたいに思ったり、思わなかったり。まぁ、ぼそぼそごそごそと今年もやっていこうと思うんですよ。

明けました。皆さん、良い年を越せましたか?

今年もどうせ荒れるんだろうけど、生き残りましょうね。おめでとう。