河原日記 第12回 「来年こそは 」
自分は胸を張ってしっかりと面を上げてどうです?凄いでしょ僕は?と人様に対して得意になれるものが無い。例えば自分はもう長い事、歌を唄っているがそれとて如何なものか?と考えると、むぅ如何なものだろうか?と難しい顔になって深刻になって前頭筋や眼輪筋や口輪筋や何より心が疲れる。
 
まぁ別段、人様に心地良くなってもらおうと意図して唄っている訳ではないので悪声であろうが下手であろうが構わない様なものだが、やはりこうも長きに渡って唄っていれば助平心も湧いて来るのが人情ってもんだろう。で、自分はその心を満たす為、具体的に何をしたか?専門の人に師事を仰ぐ為唄い方教室へ出向きボイストレーニングを受けたか?否、煙草にチェーンスモークし肺を鍛え、宿酔いして嘔吐時に腹筋、背筋を鍛える事をした。つまり何もしなかった。
 
人間苦手な事はしたくないものだ。自分は努力ってものが大嫌いだから極力問題は棚に上げて、知らない聞こえない、知らない見えないと自己暗示をかけて、猫と遊んだり、映画を観たり、眠ったりして遊んでは問題を先送りにするので、結果、大事になって余計に困る。まぁ、それでモアホゥが真面目にやれ。モと人に叱責されるくらいで、まぁ、命まで取られるケースは少ないだろうし、歌唱能力にしたって自分自身が気分良く唄えりゃいいやくらいのジャイアンの様な根性だったと云う事である。しかし、そう、その命の件である。自分は大変に死ぬのが怖いのだけれども、じゃあ生きる気があんのかおまえはと問われると、うっ...と詰まって即座に答えられなかった事があった。要するに一事が万事、命の事でさえ棚に上げて、三歳児の如くに僕知らないと自己欺瞞しているのである。ロマンチックな人達の中には、年老いて醜態をさらし続ける長い生よりも劇的な若死に憧れる人もあるが、自分は違う。自分はもうすでに汚い事になってしまっているし、得意少なく恥の多い生ではあるが、これからも猫と遊んだり、映画を観たり、眠ったりして遊んでいたい。
 
と云う事で、来年こそは人間ドックにでも入ってやろうかと考えているけれども、とても独りでは怖いので、寺尾くん君もついて来なさい。一緒に診てもらおう。

師走です。みなさんも悪い風邪や凍死や急性アルコホール中毒等酒にまつわるトラブルや餅代欲しさのコンビニ強盗犯には十分気を付けて良い年をお越しください。 

 河原日記 第11回 「意思の不通
自分はバイク便と云ってバイクを駆使して此方から彼方、彼方から此方へ客様方の依頼を受け荷を運ぶ事で日々、口に糊しているが、先日の就業時の事である。自分は一本の業務を終え事務所に終了の旨を報告し、次の指示を受けた。待機である。今、仕事はねえから待ってろと云う事である。了解、自分はその辺にあったコンビニエンスストアの駐車場へバイクを乗り入れた後、店内で飲料と煙草を購入、再び駐車場へ戻ると、おとなしく待機に入った。一応は隅っこの邪魔にならぬ場所、車止めの所で。

視野に入って来た人が在った。即座にヤだなと感じ、早機警戒態勢、チラ見した。

二十代後半から三十代前半、男性。米海兵隊の野戦帽、インチキなデザイナーが用いそうなメガネ、黒のサファリジャケット、灰色のサーマルのパンツがスパッツの如く細い。足下はフリークライミング用か何かよく知らんがペッタリとしたペッタ靴が足にフィットしている。自分はこう云うのを何ルックと云うのか知らないが、真似したいルックではなかった。その様な人が自分の眼前5メートル辺り先の割合往来の邪魔になる地べたにあぐらをかき、何やら透明の小袋をパリパリと開封し、無造作に地べたに放り捨て、中身の物を手首に着けた。パステルブルーの数珠だった。した後、傍らのプラ容器を手に取ると、それはおでん。箸を用いて食べ出した。先にも書いた通り、自分は一応は隅っこの往来の邪魔にならぬであろう場所、車止めに腰かけているが、自分だってこの人と同じ穴のムジナ。偉そうな事は云えない。世間から同類と思われるのはヤだなと差別的な事を思い、逃げようかと逡巡してる間に機を逃した。チラ見失敗、目が合ってしまった。

あなたの会社に空手2段か3段のGSX刀に乗った○○と云うライダーが居ないか?私はデンツーに出入りしていた広告デザイナーであったが、仕事が出来過ぎるのも妬まれるもので、結局クビになり、現在はホームセンターで購入したシボレーの自転車、2万ですよ、安いでしょ?自転車便をしようかな、あなたの会社で雇ってもらえますかね?この年になって雨の中走るのは濡れるし危険だから、やだから休めばいい話ですよね?クビになった後は、フリーでシセイドーのアロエクリーム、ほら、ババアが使う、醜いものは何したって醜いのにね、それのパッケージのデザインをしたりしてましたが、現在はダーツバーが大好きで、本当に刀の○○知りませんか?ほらこれ見て下さい。ってサファリジャケットのポケットから筆箱大のケースを取り出し、蓋を開けるとダーツの矢を取り出し、1本5千円なんですよ、でも買っちゃだめです、コーナンに行けば数百円で作れるんです。弟が大工をやってるんで知ってるんですよ、買っちゃだめですよ。これ1本あげましょうか?自分はそれまで男のヨタだかジマンだか知らぬが、まぁ、どっちにしろ興味の持てぬ話を、自分らなんて才能のねぇ者は雨風の中走ってヨゴレねぇとメシ喰えませんやなどと皮肉を交えながらも、ふんふんほうほうと応接していたが、この段になって、”眼球に刺さる針、サンゲリア、ジョギリ”そんなイメージが。こんな大切なものは頂けません。自分は仕事があるんでと、いとま乞いした。何だか男の顔に寂しさが浮かんだ様にも見えたが、知らん、サラバ。

自分だってあなたと同じく人様から相手にされぬ事はある、寂しい悲しい事ではあるが、しょうのないことである。お互い興味の持てる間柄であれば、まーたこんな事云ってるよ、ほんとダメだねぇこのヤローは、なんて云いつつも、やり合って行くもので、また、話し合って解る事もあれば解らぬ事もある。不通でけっこう。腐れ縁でけっこう。それが出来ぬ仲なら、左様なればと別れるまでだ。そう思って人と付き合っている。

しかし、「今は肉料理に凝ってましてねー・・・。」とニヤニヤしながら懐から牛刀を自慢する”とらおまん”の様な男でなくて良かった。世界は危険もいっぱいだ。桑原!!さばら!!

 河原日記 第10回 「善と悪の間で揺れる時
孟子と云う人の説で人間は生まれながらに徳に向かう素因があり、つまり本性は善なのでそれを拡充してゆけば社会は平安になると唱える性善説と、それに異を唱えた荀子と云う人の説で人間の本性は悪であるゆえに、これを礼によって整え、社会秩序を維持すべきであるぞよとの性悪説があるらしいが、その昔、自分に「あんたはどちらの説を支持します?」と問う人が在ったので、自分は「そーっすなー善悪は難しいのでともかく、水は低きに流れるの喩えもあるし、徳云々より悪法でも法はあった方がいいんじゃねえかと思います。」くらいの事を答えた。
 
善と悪の闘いと云う形は昔から好まれて描かれる主題である。

いかにも正義な人がこれもまたいかにも邪悪な団体の運営を阻止すべく、次々と投入されてくる刺客を次々と討ち殺し、最終的には邪悪な団体を壊滅させる”善”の人の話。平和が訪れ子供達に爽やかな笑顔を見せたりするが、相手が人間であろうが怪物であろうが宇宙人であろうが殺生には変わりはない。彼のその笑顔には憂いの色は見えない。彼は成すべき事をした。私達、無力な者に成り変わり、自らの手を汚し邪悪な団体を壊滅せしめた。偉業である。長きに渡る闘いの過程で彼はきっと自分の手が幾多の敵の体液、肉片、骨片、内臓片でぬるぬるのずるずるになってしまった事に無自覚になったのだろう。本業である牧童仕事の傍らハモニカなど吹いて静かに暮らす事だろう。次の敵が現れる日まで。爽やかである。しかしその爽やかさには不自然さを感ぜざるを得ない。彼は待ち望んでいるのではないだろうか。

必殺技も特殊装備も持たない無力な一市民である自分のふやけた視点なんだろう。
道に倒れたる人の為に救急車を呼ぶのは、まぁ、たやすい。倒れたる人のはみ出したはらわたはレスキューの人が何とかしてくれる。

しかし、悪と対峙した時、善を行うには覚悟がいる。悪を行う時もまた然り。

寺尾くん、シンシティ一緒に観に行かないか?
 河原日記 第9回 「老後
一寸先は闇という例えがあるけれども、なるほどその通りで、1年先の事どころか明日は映画を観た後何処かで旨いものを食べようなんて計画ですら鬼からすればちゃんちゃら可笑しい事であるかも知れない。明日のおひさんが拝める保障なんてどこにもない。だから日頃から下着は清潔なものを用い、まぁ、死に方によっては肉体の損壊が著しく折角の清潔な下着も意味を成さない事もあるだろうけれども。

また、部屋にある、人に見られて恥ずかしいものは処分してしまうか、金庫などに収納、厳重に施錠して”なんびともこれ開く事我許さず。開けたる者あれば我必ずやその者を三代に渡り呪うよ。”かなんか記しておきたいものである。なんならその一文の後に血判を押しておくと、より一層不吉な感じがして良いかもしれない。しっかしそこまでドラマチックにすると、”触らぬ神に祟りなし”に沿い、捨ておくものもある反面、見たい是非開けてみたい開けてやるなんて猫みたいな事を考える者が出て来て、そうなると無造作に放置していた場合よりも、三代に渡ってまでカースするぞよと脅した挙げ句、箱開けられて露見した場合の方が恥ずいのだよ寺尾君。やはり処分しなさい。それらを。

とはいえ、俺あたいはノーフューチャー明日なんて知らねぇという人達の事は知らないが、何となく明日もあると思って人は生きる。人がいつまで此岸にいられるだろうかなぁと考えた時、各人それぞれに設定は違うだろう。5年、10年、20年、30年、モア。設定した年数が長ければ長い程、それに見合った備えを比例して行わなければならない。アルコホール、ニコチン、カクセイザイ、エンブン、トウブン等の摂取を控えない人には響かない事かも知れないが、人は老いる。不自由になる。飯を食う。排せつする、寝起きする、それが介添え無しでは出来ぬ事になる。辛い事である。

私は健康で長く生き、色々と見聞きし、暮らしてぇなと普通に思う。が、今のところ、その為に必要な備えを何もしていない。どころか不摂生ばかりしている。恐ろしい事である。リアルに考えたくない事である。

全くなんちゅう恐ろしいお題を出すんだ寺尾君よ。恐慌をきたしておちおち昼寝も出来ないではねえか。

絵に描いた様な静かな老後。細々と暮らして行くには不自由ない貯え。長い一日を本を読んだり、爪を切ったり、雀が鳴いて可愛らしいと思った後で近所の公園へ散歩に行ってみたり、ぬたや茄子の煮をあてに軽く呑みながら縁側から月見てみたり。んな悠々自適な老後が俺達にあると思うかね寺尾君。

釜ケ崎で行き倒れ。末期の言葉「気持ち悪い、ゲーしたい。」ほれ、リアルだろ?
恐ろしい事である。それこそノーフューチャーである。
皆生きぃぃぃよ。
恐ろしい事である。

 河原日記 第8回 「休日
朝ぼらけ。自分は繰り返す阿呆なのでほらまた今朝も宿酔。そのぼらけた頭にフェードインしてくるのは鳥らのさえずり、近所のおっさんおばんの朝の挨拶を交わす声。

自分は思わない。新しい朝が来た!希望の朝が!とは。またぞろ朝がしょうむない、白々明けやがって白こい、爽やかな振りしやがってキモイんじゃ・・・ぐらいの事を思って痒い部位を掻き屁をこきながら朝に呪詛を。ぼらけのカース。

お天道様に毒を吐くとは身の丈知らずめ、痴れ者めという向きもあるだろうが、人間逆境に立たされ挫けそうになった時には他者外部を激しく罵ると不思議と元気が出るぞよと、ものの本で読んだ事があるし、貴方方だって自分自身に一切の理が無い事は分かっていながら、悪たれた文言を人知れず発声した事があるのではないかと推測します。例えば食堂においてカツカレーを注文、運ばれて来た段になってオムライスを食べたくなり、且つ同伴している者が愚にも付かぬ話ばかりベラベラと鼻の毛には鼻の糞がそよいでいるし、最前からげっぷばかりしやがる。オムライスを食べる事は出来ないは、目の前の同伴の者は見苦しいはで、みんな燃えてしまえなどと放言したい衝動に駆られた。とか。しかしカツカレーを注文したのは他でもない自分であるし、人間生きていれば毛に糞のそよぐ事もある。確かに平然と人前でゲップばかりするのは褒められた事ではない。だったら、「君、それどうかと思うよ?」と注意を促すのが理というもんであって、みんな燃えてしまって良いというもんでは無い。

そんな事は百も承知での「バーンアウトオール!!」である。

つまり、やだなぁでも毛糞やげっぷに負けずカツカレーを食べないとといった状況において自らを鼓舞する為の台詞に過ぎないから、自分が”朝”に白こいんじゃキモイんじゃと呪いの言葉を吐いても、ちっともおかしない。

さて何故私は朝に自らを鼓舞せないとならないか?

仕事に行かないといけないから働かないと食べられないから。

未明に鬼門側の壁から赤い人が出て来て泣き笑いみたいな顔をしてハキハキした口調でマグルマグル言いながらこっち見てましてん夜明けまで。そんで僕めっさ怖くて熱出ましてん。だから今日休まして欲しいんでふけど。とか言うて仕事休もうかなぁとか夢想していたところ、昨夜から付けっぱなしのテレビでやっている天気予報で「今日○月○日、日曜日は・・・」とか言っている。

何の事はない本日は日曜日、自分は今日仕事休みだった。嬉しい誤算という言葉があるが正にこの事、大変嬉しい。鳥よさえずれ、おっさんおばんに幸あれ。ビューティフルサンデイ。アハハ、ビア飲も。なんとかレンジャーって正義のレンジャーの人らが活躍している。おうおう、正義の為に戦ってくれ、俺今日仕事休みやねん。アハハ。四本くらい飲んだら眠なってきたな。眠たくなったら眠れば良い。眠る。眠った。

起きたらテレビで匠が古家をリフォームしている。すっかり夜やな、腹減ったな。取りあえず飲むか。アハハ。

最近こういった休日を過ごしていない。なんかしら忙しい。雨季過ぎて夏が来た。 海中より無数の手。

寺尾くん、僕らの老後ていつからよ? 

 河原日記 第7回 「めんどくさいは敵か?」
小学生の時分、彼岸の折などに両親に四天王寺さんへ連れて行かれた。

全く意味の解らぬままに極楽門で転法輪を手でもってグルングルン回したり、亀の池で、うわぁ、ぎょうさん亀おるなぁと感想を述べたりするのはまぁ、楽しく無い事もなかったが、経木に毛筆でもって先祖の名を書かされたり、香立ち篭める中、老いたる群れに埋没、だって今でこそおっさんになって180センチ近くの身の丈になってはいるが、その時分の丈は群れを構成している老いたる人達の腰の辺りな訳だから、そら埋まる。息が苦しくて半泣き、覚えてはいないが全泣きしたこともあったかもしらん。何が聖徳太子じゃっ何がお大師さんじゃっ何が供養じゃっ生き地獄やないかぇ僕泣く。当時はそのように屁理屈する知識もないので、ただ単に、はよかえろうやはよかえろうやと餓鬼らしくゴネるのだが、父親に頭をはつられるなどしておっかないので、ぐっと耐え忍び大人の都合に迎合する、役する。しかしそれは単に父親の恐怖統治が恐ろしいからだけの理由でそうしているのではなかった。

ニヤリ。僕悪い顔する。何故か?

この生き地獄の後に待つ至福。”阿倍野で映画見て新世界で串カツ”

巨大ホホジロザメ、黒のV8、1997年のマンハッタン島とかに興奮した後、パンフレットをソースで汚しながら、またしても頭はつられチューリップ。至福。

「はっ、なんちゅう貧しい至福じゃ、しょうむない。」なんて云う向きもあるかと思うが、ほっといてくれ。三十年近く経った今でも映画館の後串カツというのは大変魅力的な休日のあり方ではある。おっさんになって、まぁ色々と環境や事情は当然変わっているから餓鬼の時分ほど特別なイベントではなくなったのは確かではあるけど。

現在、餓鬼の頃そんなに嫌だった四天王寺さんには弘法大師さんの命日に当たる二十一日に毎月行われる市に出掛け子も取らんモンを買ったり、休日にふらふら訪れ亀の池で亀ようけおるなぁと餓鬼の頃と変わらぬ様な事を思ってみたり、まぁ何となく度々訪れている。で、また月曜が来て、じゃぁくさいなぁ仕事ふんまとか思いながら仕事へ行くが、仕事の後の一杯は旨い、と云うのもまぁそうだなぁ。宵に風鈴の音がチリンチリンいうとるなぁ、とか言いながら軒で卵豆腐でね。プロレタリ。

寺尾くん、君も僕の事を言えないぐらいめんどくさいに侵されつつあるよ。
とりあえず区役所行ったらどうですか?

 河原日記 第6回 「やりたい事、やりたくない事」

何かやりたい事があって、実際に始めてみると何だかやりたくない事が附随してきて、ぼくわたしはやりたい事をやろうとしただけなのにやりたくない事をやらなければならない。面白くねぇ。と云う風になる事はよくあると思う。そこでやめるか続けるかの選択は、例えば壷を作りたいなら壷作り教室に通うか自己流でやるか知らんが、練習しなければならず、その厭わしい練習をしてまで壷を作りたいかどうか計算した結果でなされ、皆やめたり続けたりしている。

現在自分がやりたくって何をやっているかと云うと生存している。自宅におわす木彫りの不動明王さんは煙草のヤニに汚れ茶色くはなっているけれども、もう何年も飲まず食わずで鬼門の方角を威嚇しておられるが、自分は有機体であってほうじ茶やエビアン等を飲んで水分を摂り、鰻や豆腐、鶏唐揚げやブロッコリなどを食べ滋養を摂らないと衰弱の果てに餓死、腐ってしまう。餓死したい人にとってはやりたい事だろうが、自分はそれでは困る。飲食する事自体はおいしかったりして良いのだけれど、富豪や飯屋ではない限り、人は飲食する為には働く、窃盗強盗する、人に乞う、ゴミを漁る、媚態を作り「寺尾さん、おなかすいちゃった。」等と云って奢らせるなどせねばならず、そうするとしくじり怒られる、左遷される、捕まって裁かれて刑に服す事になる(あ、飯食える!)、見下される、嘲られる、体を触られる等して悲しい事になる。しかし皆悲しい事になっても生存し続けている理由は、まぁ、各人、嬉しい楽しい事もあるからだけれども、死にたくないから生きているんではないだろうか?何故死にたくないかと云うと、肉体が滅んだ後に何があるのか分かったものではないからで、天国だ極楽だ地獄だ虚無だ呪縛だのと色んな人らが色んな事を云っているけれども、自分は死んだ人に直接話を聞いた訳ではないので結局本当のところは解らない。理解不能なものは根本で怖いのでデスって怖い。そのくせ映画にしても読み物にしても人が死ぬ描写が無いものは八割がたつまらなく感じる。怖ければ寄って行かなければいいものを、何故わざわざ寄って行くのだろうかと考えると、いずれ来る自分自身の死に対する心構えみたいなものを無意識に形成しようとしている側面があるのかもしらん。

寺尾君、そんな事に三万も使ったんかいな。ほんますっきゃなぁ。


 河原日記 第5回 「義理と本心」
多勢の人は他人様に世話になったり手間をかけさせたりしてオロオロヨチヨチと成長していくのであり、現在不惑わしゃヤリ手。我が事は一切合切、我がで処理せしめる能力をインストールした!わしゃアルマゲドンが来て独りになっても生存せしめたる!と断言する様なアイムザエーチームバイマイセルフな真に硬質な御仁ですらこの過程を経てきた訳であり、常人であればなおの事、人様の恩恵を受けていっぱしの成人になる。更に自分は恥を云う様だけれども思考的身体的能力がどうやら常人より劣っている様なので、人一倍その傾向が強い。とにかくそうした人間関係の場で何が生じるかと云うと、そう義理です。そうして世話手間かけた相手には食事を馳走する、時節に贈答品を発送する、物騒な場合であれば凶器準備集合罪で共に御上さんに連れられてゆく等して義に沿い日々暮らしていきまさーな。何故そうするかと云うと義イコール人の道とはギブアンドテイクする事によりスムーズそしてコンフォートな関係を保てると云う事が人界では了解されていて、その掟を怠り、カッ!そんな辛気くせぇ決め事なんぞ知った事かよってフフフフフーン♪なんちゅう余裕をブッこいていると大概ハミ児になるからであります。しかしそう云った利害の理念以外に社会通念上、「お世話になったアノ方に。」と云った情緒が働くのもこれまたあながち偽善とは言い切れず、まぁ、借りたものは返したほうがスッキリスッパリ。「ああ、お天道様ありがとう」って心晴々。 しかし、やっかいな人に手間世話かけた場合、「松ちゃんなぁ一寸話あんねやんかー」なんて鬼の猫なで声が留守電に入っていた場合、素朴に「アッ、今こそ借りが返せてホノボノやわ、ヤッター」なんて呑気な心持ち以外に恐怖が介入して来る訳です。テッちゃんとカルメラ、テッちゃんとお好み焼き屋の親父、是、恐怖政治。「ウワッ、たまらんなあぁ・・・。」ソレも義の道、義理なのかしら?自分にはよー解らない。義ってのはもっとこう自発的なもんでは無いかしら?しかし世には「まっちゃん解ってるよなぁ?ウフフ。」って仰る人がおわしてギャフン。自分はエーチームのテーマ曲を頭ん中で鳴らしながら深夜の新御堂筋を北上するのであった。何用なんだろテヘヘ・・・。

ラオさん、誘われていた京橋行かれません。ゴメンね?楽しんで来てねーー!

 河原日記 第4回 「右か左か」
右か左かって云うからポリティカル?政治の話?俺のイデオロギーを述べよって事かと尋ねると『否、そうじゃねぇ、左道を往けば犬に噛まれて痛かった、右道を往けば小銭を拾って嬉しかった、中道を往けば別段何事も無く平穏無事であった。くらいの事でイイよ。ハハハ。』ってラオマニコフ。あぁそっか、道の話ね、それなら自分は日々バイクに乗って働いているので、じゃぁ書けると思い事実、書く。よろしく。

先に述べた様に自分はバイク便と云ってバイクを駆使して此方から彼方、彼方から此方へ客様方の依頼を受けて荷を運ぶプロのパシリを生業にして長い事になるのですが、駆け出しの頃の話をひとつ。

或る三月の日の遅い午後。私は配車係から大阪市内某区から兵庫の北西100キロ地点へ荷を届けよとの指示を受けた。了解、って荷を受け高速自動車道に乗り入れ荷届け先目がけ軽快に快活にヒュンヒュン走り出した。春はまだ全面的ではなかったけど、長い冬の終わりを便ライダージャケッツ越しに感ずりながら。やがて出口を降り一般道へ出たところで再度ルート確認の為地図を開く。.......。なんか良く解らんアハハ。大阪市内、府下であれば迷ったところで携行している地図は事細やかであり、即時修正可能であった。んが、現在いる地は詳細を計り知れぬ未踏の地。でも大丈夫、俺プロだからと概ねの見当で走り出した。 山中を切り開いた道に入り右へ左へ上へ下へとキャハハ、たのしたのしってツーリングみたい。

三十分後。自分は左右から鬱蒼と木の生い茂る道の果て行き止まりで文字通り路頭に迷っていた。目の前には何やら不吉な感じのする廃屋。日没迫り、荷着の予定時刻より遅れる事三十分。自分は驕っていたのだと猛省した。半泣きになりながら更に三十分荷届け先を探し走った。あった。「えらいにいちゃん遅かったな。」「申し訳ありませんでした。」事務所へ終了報告。「油は売れたんかダボ。」「申し訳ありませんでした。」恥を知った。プロへの道はなげぇなぁと思った。現在は知らぬ地へ赴いた場合、コンビニエンスストアでその地の詳細な地図をタダ読みするか、ネイティブの方々、郵便局、交番などで道を乞う事にしている。人は必ず迷う。迷わない様な超人も在るかも知らんが、まず迷う。考えた上解らなくて困ったら人に聞けばイイと思う。答えてくれなかったからといって怒るのは愚だが。

「だーれのせいでもありゃしねぇーみんなおいらが悪いのさーーーー」って多分エルヴィス・コステロの曲を和訳で唄われたものだと思う。昔、自分の父親がよく唄っていて当時小学生の自分には全く意味が分からなかったのだが、今なら解る。右か左かを選んだのは自分自身なのであって、他者、外部にケツを持っていっちゃダメよ。って事なんだろう。正しい。賛成に挙手します。自分は右か左かの別れ道があった場合、流れる水のごとく楽な方へ楽な方へとゴソゴソと生きてきて、結果ダメな今日の自分があるのですが後悔はありません。恵まれていてワーイワーイ。恵んでくれた人達にいつか借りを返す。殊勝。ハハハ。

ラオマニコフは関めぐみは好みではない事。好みがうるさいね。

 河原日記 第3回 「アウェイと私」
私は昨日まで豆腐屋でしたが今日から壷を作りその作った壷を売って暮らす。だから私は自前の壷屋です、よろしく。

と云うのはこの雑文を書いている私が自前の壷屋になったのではなく、そう云う人が居たらと云う例え話ですが、この自前の壷屋の浅はかなところは何か。豆腐屋は自前の壷屋に成ってはならぬ、これを禁ずる。なんて法は恐らく無いし、やりたければやりゃいいじゃないかと思う。しかし私が「じゃあ自前の壷屋頑張ってね、了解。」と快く云わないのはこの新米の自前の壷屋の人が壷の自作自売で衣食住を賄おうとしているからである。私は壷の事に明るくは無いけど、何だってそうだろうが、ひとつ事を成すには色々と学び、失敗失態、試行錯誤を繰り返し、ある程度格好くらいはついてきて、まぁ君も壷作りの端くれくらいには成ってきたなと認めてもらえる訳で、はなから私は自前の壷屋ですよと名乗っても、何処かの軒先を借りるかして展示販売したところで、モノ好きか酔っ払いが「ほぉ、こら素朴でええやないか。」かなんか言って日にひとつでも売れれば御の字だろう。また、たまたま通りかかった高名な壷商人の目に留まり、「あなたは天才であるから私がマネージメントしましょう。どんどん壷を作りなさい。」で、事実ガンガンに売れ一躍壷界では知らぬ者となり、壷長者になっちまった。なんて展開が絶対無いとは云わないが、そんなアホな話はまず無い。壷売れずメシは食えん。ここで彼が「あ、間違っちゃった。」と気付き、状況に真摯に向き合い肝心の壷作りに対してはもちろん販売方法なども、ひとっところの軒先だけでやるのではなく、色々な場所へ赴いて多勢の人に見てもらおうなんて建設的な事を考えたりするのであれば可愛気もある。対して彼が頑迷であった場合、「はっ、アホに売る壷はないわい。」などと壷が売れないのを世の人のせいにしては酒を飲んで自己欺瞞の自己満足でやがて壷詐欺にでも成り果てる事だろう。アホはおまえだよ自前の壷屋・・・。「ワシはワシの壷を作る。ワシはワシの壷に忠実じゃ。それが売れぬというのであれば仕方がない事だろうて。」それは世間からアホウ呼ばわりされようが清いと思う。が、売れぬのを世間様のせいにしたら敗北だよ自前の壷屋。売れない事を苦々しく思い世間を呪っている売れないバンドマンみたいな事を云っているから駄目なんだよ、自前の壷屋。って売れないバンドマンの私。建設的に行商へ、アウェイへ東京まで先月。いつ来ても和むなぁ下北沢。アウェーイ!ギョーザを食べた。ビールを飲んだ。リハ前に吐いた。懐かしい人達に会えた。で、ギグ。演ってる自分らは楽しかった。40過ぎ位のおっちゃんが何故だろうか一人でCDを二枚買ってくれたが、大勢の客様方が自分らをどう観たのかは知らん。お通夜風ではあった。んが、”おまえらに売る歌はねぇ!”とは思わなかった。

25M FLOATERのたけもっちゃん、PIPE69のながちゃん、輸送してくれてありがとう。

ギグ後、訳あって数日東京に居残ったラオマンコフからのメール「表参道かわいいこ多いでー。」楽しそうで良かった。

 河原日記 2回 「今年の抱負」

今年の抱負。自分も小学生の時分そんな題で作文を書かされた気がしますが、尋ねられて「今年は本業の俳優業に力を入れてゆきたいですね。」「それはファンも楽しみですね。」なんてやりとりをしているアレですが、自分は小学生でも芸能人でも無い。一応は人様の前で唄っているので芸能の人間と云えなくもないが、ドブ板をめくったらおった。ぐらいの芸能の人間なので「いやぁぼかぁ今年はねー、」なんて語ったとて「それはワンフも楽しみですなー。」なんて暖かい事には成らないのであって、悪くすれば「はっ、ボーフラ歌手がなにぬかす!おどれの寝言誰が聞く!」「ちょうまてや!ボーフラないやろ、表出い!」なんて険悪な事にも成りかねません。一般の名も無きボーフラの”今年の抱負”と云うものは、この様に人間関係にヒビを入れかねぬ程つまらないものである訳です。しかし敢えて云うなれば、ズバリこうです!”細木数子とのエンカウント率ゼロパーセント。”

テレビを見ていての業腹ついでに、トイレならびにバス掃除用品のCMにもの申します。制作者よ!君達は寒風吹きすさぶ中、リビドーと千円札を胸にあの自販機の前を逡巡した事があったか?努力の末に得たものが自分の母親とさして年齢の変わらぬモデルの媚態、ガガーン!って事があったか?仕方が無いので釈然とせぬまま想像力を駆使して事に及んだ事があったか?若いうちから無修正のAVばかり観てたんだろう。制作者よ。ニュースショーや健康番組が過剰に危機感を煽っている例の手法をプラスした結果が、あのリアルな便器やタイル目地の汚れか?!便器や目地の汚れをあの様に再現する必要は断じてない。温かいごはんをいただいている時、宿酔いで吐きそうになっている時の視聴者の身になる想像力を持ちあわせるべきではないのか?

もう一つ。ロードショー公開される映画のCMもなんだか小馬鹿にされている様で歯がみする思いがしますよ、僕は。大変楽しかった。大変格好が良かった。大変笑った。大変泣いた等の感想を興奮冷めやらぬ風情で誰か知らん人らが報告していますが、アレを見て「ワーオ!じゃぁ僕も観に行かなきゃ。今スグ劇場へゴー」なんてなテンションになるよと云うた人を自分は未だ知りません。最近の例では「エイリアンがんばれ」なんて云ってる女性が居ましたが”孕まされてしまえ・・・・。」と独り言ちたもんです。きっとギーガーだって同じ思いですよ。

朝刊の片隅で憤慨している老人の様になってしまいましたが、最後にラオマンコフに今年の抱負を尋ねたところ「相武紗季の乳もみたい。」でした。チッチキチー


 河原日記 第1回 
新しい年になりましたが皆さん良い正月を過ごされましたでしょうか。自分はモルグ・サイド・シネマと云うバンドでボーカルをやっております松岡と申します。さて、パイプ69マンスリーの紙面拡張に伴い、これから毎月随筆を募ってゆくとの事、マネージャーの寺尾さん(グラビアアイドル写真集多数所持。)よりライブハウスについて何か書けとの命を承りました。

ロックのライブハウスと云う施設は、爆音を立てる、叫ぶ、踊る、飲む、暴れる、頭を抱える、泣く、笑う、どつく、吐く、倒れる、等して遊ぶ場所であり、その近所迷惑な性質上、通常、住宅街を避け比較的苦情が来なさそうな遊興施設が立ち並ぶ街に位置することが多い訳ですが、それでも先述のバーストシティで行われる様な所業を開けた空間でヤッタれば、騒ぎに馴れている遊興の人達もさすがに黙認仕兼ねて迫害、あげく追放なんてな事になるでしょう。閉じなければ。で、地下に潜る等して不穏が近隣に漏れぬ様にしている訳です。そして窓が無い・・・・・。

自分は窓が無いと閉じ込められた様で気が滅入ります。淀みます。しかし同様に窓の無い自宅のユニットバスへは本とタバコ、たまにアルコホールを持ち引き蘢る事がありますが非常にこころが平和になるのは、やはり何をしてもかまわないと云う開放感から来るのでしょう。

多勢の人間が虚栄心を胸に出入りする劇場やテレビラジオ局では、恨み、妬み、敗北、喪失、愛憎、等の情念が漂い、時折具象化し薄気味の悪い目に遭う事がある。なんてな事を聞きますが、ライブハウスにも千年沼から立ち昇る靄の様な、蒸されている十面鬼の様な邪念が漂っていて自分がギグの前に体調を崩すのはアルコホールと緊張のせいだけでは無いのかも知れません。

寺尾さん(2次元も可。)は、こう云うヨタが嫌いなので終了。最後にパイプ69の皆さん本年も何卒よろしく願います。寺尾さん(18禁ゲームとかも数本所持。おそらく。)ライム切れてますよ。